世に多くある「境界」の中でも、人にとって最も冒しがたく明確な境界というのは、「生」と「死」の境界であろう。「生きている」ことと「死んでいる」こと、あるいは「生物」と「無生物」。その間には相互の往来が不能な絶対的な境界があると、思われがちである。しかし、結論から言えば「生物」と「無生物」の境界は、一般に思われているよりはるかに曖昧なものだ。その曖昧さを生み出している存在の一つが、本稿の主役、ウイルスである。
昨年『ウイルスは生きている』(講談社現代新書)というタイトルの本を上梓させて頂いたが、このタイトルに対する反応には、正反対の二つのものがあった。一つは「ウイルスが生きてるって、当たり前じゃないの?」というものであり、もう一つは「こりゃまた、ずいぶんと挑戦的なタイトルですね」というものである。典型的には、前者は一般の読者から、後者は生物学に知識がある人からの反応である。
「ウイルスが生きている」のは、当たり前という感覚は、やはりウイルスが私たちに病気をもたらす存在であるからだろう。ウイルスは、インフルエンザやエイズに代表されるような様々な感染症を引き起こす存在であり、コレラ菌とかペスト菌とかと同じような微生物の一種と思われがちである。「生きてもいないものが、どうして感染症を引き起こすのか?」というのは、自然な感覚である。
一方、「“ウイルスは生きている”とは、挑戦的な」というのは、生物学の世界では一般にウイルスは「非生物」と扱われており、その常識に反しているからである。「ウイルスは生物ではない」と書かれている教科書で生物学を学んだ人も多いはずだ。
さて、一体、ウイルスは生物なのか、非生物なのか?その本題に入る前に、まずウイルスとはどんなものか、簡単に紹介したい。ウイルスが、生物学で生物とされない最大の理由は、「細胞」という構造を持たないからである。
細胞は、元々「小部屋」を意味する言葉に語源があるが、細胞膜という薄い膜に囲まれた構造をしている。生物は、その膜による囲いの中に「自分の部屋」のような空間を作り出し、生存に必要なエネルギーの産生、物質の代謝や遺伝子の複製といった様々な化学反応に適した環境を作り出している。また、細胞は一般的に増殖の単位でもあり、この細胞が分裂することで、自分の子孫(コピー)を生み出す。このように細胞という構造は、増殖や代謝といった生物の基本的な性質を支える非常に重要な役割を果たしている。
一方のウイルスであるが、大掴みで言えば、ウイルスはその細胞から遺伝子が飛び出し、キャプシド(注1)というタンパク質からなる殻を被って、一人で放浪しているような存在である(図1)。キャプシドタンパク質も遺伝子である核酸も比較的単純な物質であり、高度に純化すれば、ウイルスは鉱物のように結晶化してしまう。
(注1)「キャプシド」
ウイルス核酸を包む殻のこと。複数のキャプソメアと呼ばれるたんぱく質の集合体で出来ている構造である。ウイルスの種類によって、キャプシドの形は変わる。
図1.各種ウイルスの基本構造
ウイルスのゲノム核酸を包むキャプシドは、構成要素であるキャプソメアタンパク質が多数集まって構成されている。
2017.07.05 Wed
http://synodos.jp/science/20043
また、ウイルスは自分の部屋を持っていない。だから一人ではエネルギーの生産も代謝もできず、どこかに居候させてもらえないと生きていけない。まるで「家なき子」のような存在である。このようなウイルスは、普通に考えると、教科書が教えるように、一人前の生物だとは思えない。「ウイルスは非生物」という生物学の常識は、このように確かに根拠のあるものである。
しかし21世紀になり、その生物学の常識が大きく揺らぎ始めている。その揺らぎは、異なった二つの方向からの発見が震源となった。一つは、他人の部屋に「犬小屋」のような部屋を持ち込んでいる生物が見つかったことである。これらは主に昆虫で発見された共生細菌のグループだ。生物が「部屋」を単位にしているという原則は良いとしても、部屋と呼ぶからには、ベットがあったり、空調機があったり、ワンルームマンションのように台所があったりと、普通に生活できる設備を整えていて然るべきだが、これらの共生細菌は他人の部屋の中に、小さな自分の部屋を持ち込み「母屋に台所があるなら、うちのは要らないよね」とばかりにどんどん自分の家財道具を処分して、現在では犬小屋のような部屋に住んでいる。
例えばカルソネラ・ルディアイというキジラミ(注2)の細胞内に共生している細菌では…(中略)
(注2)「キジラミ」
アブラムシ(アリマキ)に近縁の半翅目キジラミ科昆虫の総称。体長1~4mmほどの微小昆虫であり、幼虫は植物から吸汁して成長する。
(注3)カルソネラは、生命活動に必須と思われる非常に多くの代謝系の遺伝子セットの一部、または全部を失っている。代表的なものだけでも、遺伝子の複製、転写、翻訳などに関与する遺伝子、また細胞膜の合成酵素やエネルギー生産に必要なTCA回路の遺伝子等、多岐にわたるものが挙げられる。これらはすべて宿主の遺伝子あるいは代謝系を借りることで生存していると考えられている。
そしてもう一つ、その境界を揺るがす激震だったのが、巨大ウイルスの発見である。「ウイルスは遺伝子が細胞から飛び出したような存在」と上述したが、それはそれまで知られていたウイルスの大多数が、生物と比べると非常に単純な姿・形をしており、遺伝子も数個から十個程度で構成されていたからである。
しかし、2003年に報告されたミミウイルスを筆頭とする巨大ウイルス達では、保有遺伝子の数がなんと4桁の大台を突破し、最大2,500個ほどに達した(図2)・・・以下略
>>2
>また、ウイルスは自分の部屋を持っていない。
誤訳丸出しwwwww
>>2
>「ウイルスは非生物」という生物学の常識
そんな常識は初耳というか、コロンビア大学の生化学の教授はウイルスを生物に分類してたと思いますが。
そりゃ生体反応は起こすんだから
生化学的な観点から言えばそうだろうさ
どういう位置づけになるんだろう。
細菌
種類も判明してる
ミトコンドリアは自分の遺伝子も細胞膜も持っている。まごうことなき生物
>>5
>「ミトコンドリアが自分自身を複製して増えるための遺伝情報の一部が乗っています。」
ウイルスと違って自己複製して増えるということは
やはり生物だね
>「ヒトを含め大部分の動物でミトコンドリアDNAは母系遺伝をすることが確認されました。」
>「従って我々の体内にあるすべてのミトコンドリアは、体細胞のDNAと違い、すべて母親から受け継いだものなのです。」
(以上 『ミトコンドリアの謎』 河野重行 著 講談社現代新書 より抜粋)
まあ化石なんかに残らないからどうにもならんのだが
もし仮説としてだが
細胞が作り出したものだだとしたら
シンプルな目的を持っていて「細胞の一部」が作ったものということになる
まあ「細胞の飛び道具」と考えると辻褄があるかな
遺伝子ある時点で生物だろが
生物は極限まで簡素化するとウィルス程度までスリムになるということ
生物の起源だって最初から複雑なものじゃなくすごく単純なものから複雑になっていったんでしょ
ウィルスが生物の起源じゃないかとすら思ってるわ
生命体ではあるが、「生物」の「定義」には合わないって言ってるんだよ
どこかの国の人みたいです。
生物の必要最低限必要なものを突き詰めればウィルスになるということ
だからー、標準的には「細胞膜を持っていること」が、「生物の定義」に含まれるのよ
ちなみに、ウイルスがなんらかの生命体であることを否定する学者は、ほとんどいないよ
お前は作者の気持ちでも考えたら?(笑)(笑)(笑)
ウイルスは分裂で増えず感染後一時的に存在がなくなる
代謝(寄生細胞の酵素を借りる形態も含めて)をせずホメオスタシスという概念がない
こんなもんどうやって生物と言うんだよ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/sci/1320856167/
人だって、人工呼吸器つけても、
ペースメーカー付けて補助を受けていても
生きてる扱いになるんだから・・・
母屋から借り受けてるとしても 生物でいいんじゃないかな?
生命とは増殖する分子
細胞なんてビークルの一形態に過ぎない
結晶に近いと言われている
なるほどわかりやすい
無神論者でも創造主っているのかな?と思ってしまう
ウィルスに膜ができて原核生物が生まれた
まぁ、そうなるとウイルスは生命じゃないのかという議論に戻るが
そんなこと言えば、草と木だって明確に分けられない
定義の仕方によって様々に分類しうる
だからウイルスは生物じゃないんだよ
ダークエネルギー(?)はエントロピーに逆らってるぞ
対策はあるのか
動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか 単行本 ? 2009/2/17
福岡 伸一 (著)
動的平衡2 生命は自由になれるのか 単行本 ? 2011/12/10
福岡伸一 (著)
福岡伸一
生物学者・青山学院大学教授。1959年東京生まれ。京都大学卒。ベストセラー『生物と無生物のあいだ』、『動的平衡』ほか、「生命とは何か」を分かりやすく解説した著書多数。
他に『世界は分けてもわからない』、『できそこないの男たち』、『動的平衡2』、『ルリボシカミキリの青』、『フェルメール 光の王国』、『せいめいのはなし』、『福岡ハカセの本棚』、
『生命の逆襲』、『動的平衡ダイアローグ』など。
http://toyokeizai.net/articles/-/10108
『動的平衡』を書いた福岡伸一氏(青山学院大学教授・分子生物学者)に聞く
http://honz.jp/articles/-/40546?page=2
著者インタビュー『生命のからくり』中屋敷 均氏
中屋敷 均(なかやしき ひとし)
1964(昭和39年)年、福岡県生まれ。1987年京都大学農学部農林生物学科卒業。博士(農学)。
現在、神戸大学大学院農学研究科教授(細胞機能構造学)。専門分野は、植物や糸状菌を材料にした染色体外因子(ウイルスやトランスポゾン)の研究。趣味は、将棋、山歩き、テニス等。
中屋敷が、福岡に喧嘩売ろうとして、全力でスルーされているの図。
近年の生命の定義の試みは多数あり主要なものを挙げただけでも相当な数になるが、参考までにその一例を紹介すると、例えば福岡伸一は、ルドルフ・シェーンハイマー
(en:Rudolf Schoenheimer)の発見した「生命の動的状態(dynamic state)」という概念を拡張し、動的平衡(dynamic equilibrium)という概念を提示し、
「生命とは動的平衡にある流れである」とした[13]。 生物は動的に平衡状態を作り出している[13]。生物というのは平衡が崩れると、
その事態に対してリアクション(反応)を起こすのである[13]。そして福岡は、(研究者が意図的に遺伝子を欠損させた)ノックアウトマウスの(研究者の予想から見ると意外な)実験結果なども
踏まえて、従来の生命の定義の設問は浅はかで見落としがある、見落としているのは時間だ、とし[13]、生命を機械に譬えるのは無理があるとする[13]。
機械には時間が無く原理的にはどの部分から作ることもでき部品を抜き取ったり交換することもでき生物に見られる一回性というものが欠如しているが、生物には時間があり、
つまり不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度おりたたんだら二度と解くことのできないものとして生物は存在している、とした[13]。
カルソネラ・ルディアイ → 生物
パンドラウイルス・サリヌス → 非生物(ウイルス)
塩基対数 の大小は関係ない。 塩基対数が大きいから生物っぽいとかもない。
ココナッツカダンカダンウイロイド というのを知っていますか?
1 – 50 CUGGGGAAAU CUACAGGGCA CCCCAAAAAC UACUGCAGGA GAGGCCGCUU
51 – 100 GAGGGAUCCC CGGGGAAACC UCAAGCGAAU CUGGGAAGGG AGCGUACCUG
101 – 150 GGUCGAUCGU GCGCGUUGGA GGAGACUCCU UCGUAGCUUC GACGCCCGGC
151 – 200 CGCCCCUCCU CGACCGCUUG GGAGACUACC CGGUGGAUAC AACUCACGCG
201 – 246 GCUCUUACCU GUUGUUAGUA AAAAAAGGUG UCCCUUUGUA GCCCCU
これで全部です。記憶力のいい人なら暗記できそう。
塩基対ランキング
ヒト 3.0×10^9
マウス 3.3×10^9
コムギ 1.7×10^10
キヌガサソウ 1.5×10^11
ポリカオス・ドゥビウム(アメーバ) 6.7×10^11(最大のゲノムを持つ生物)
ヒトはマウス未満の存在。まあ、近縁だしよしとしましょう。
ヒトは、コムギ未満の存在。全ての生物はアメーバ未満の存在。むむむ?
ヒトの細胞核からDNAを取り出したら、2メートルくらいの長さのヒモになるらしいですが、このヒモは生き物だと思いますか?
古典的名著であるシュレーディンガーの「生命とは何か―物理的にみた生細胞 」
の劣化コピペを作ろうとした本なんだね。
あれから40年経ったけど、何か新発見、新説は出たかな
遺伝子情報持ってるのは
生物とすれば、わかりやすいかも
それなら、トランスポゾンは生物と言えるのかな
もっと極端に言えば、人の遺伝子を一つ切り出してきただけのdna配列を生物とするのかな
>>58
生命活動を行うものが生物だよな
死体にもDNAがあり、死後活性化する遺伝子すらあるのだから
http://wired.jp/2016/10/16/undead-genes/
別の言葉でいうと死なないもので
プリオンという概念からして怪しい。BSE
生物が先か遺伝子が先か?
といったらたぶん遺伝子が先なんだろうなあ、ウイルス見てると。
ある環境条件がそろうと生物の発生は奇跡などではなく必然なんだなぁって思えて来る。
ウイルス見てないだろおまえ
ウイルスはちゃんとした生物がいないと増えることができないんだぞ
その存在様式にすでに生物の存在が前提とされてるんだよ
つまりプリオンは生物だと
かなり尖った珍説だな
情報量が多いか少ないかの違いでしかない
この本読んだ
結局生物と非生物の境界はわからんが、生命はそれがどういう形態だろうとそこに生きる余地があるなら進出するのだなというのは分かった。
別にそこに単体で生きるとか生きられないとかいう限界は存在しない。
進化の本質は環境に適応して変化していくということなんだろう。
遺伝子と遺伝子の成立構造をベースとしたOSというかマシン語コードの実行環境みたいなものがあって、それが生命/意識を実行している。意識は生命の本質ではなく単に情報処理の効率化の末発生した副産物に過ぎない。
AIを遺伝子に組み込む時代がいずれやってくるから、生物界のドメインの再編成が必要。
現在
現在主流の3ドメイン説では、生物全体を真正細菌、真核生物、古細菌の3つに大別する。
1990年にカール・ウーズが提唱した。
未来
細菌、真核生物、AI有機体、意識体(肉体を持たない)
真性
マクロファージもプラスミドも生物、それどころか核酸も持たなくても起こりうる。
定義を変えたらなんでも言える。
変えるんなら、その定義の妥当性を、相手にも認識してもらう努力をしなければならない。
ウイルスが細胞質を持つ個体に感染し、その生物的サイクルを継続できているのであれば生物と言える
逆に言えば、人間であっても呼吸が止まり生物的サイクルを継続できなくなったものは
生物ではなくなりたちまち無機物に分解される
エネルギーを生産することができない。だから生物ではない。
ウィルスが生物だとすると雪の結晶も生物だということになる。
生きてるってなあに
引用元:http://egg.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1499417599/